先日、親友のお母様の小さなお葬式(火葬式)に立ち会わせていただきました。
実は管理人、火葬式の参列は2度目となります。
前回の火葬式はただ参列しただけだったのですが、今回は親友のお母様の訃報を受け、亡くなられた病院へ向かうことから、葬儀社の手配や納棺、献花、出棺、火葬、骨上げと、全てにかかわらせていただきました。
喪主となった親友は母子家庭の一人っ子なのですが、縁あって管理人は長年家族のように過ごさせていただき、親友とも姉妹のように過ごしてきました。
ですので今回、管理人も家族の一員として親友と共にお母様をお送りさせていただきました。
お母様はご高齢(享年93歳)であったということもあり、お別れに来られる人がほぼいない状況もあったので、二人で相談して小さなお葬式(火葬式)でお送りすることにしました。
小さなお葬式(火葬式)は、ご本人様が亡くなられた場所から一番近い葬儀社が手配されて来てくれるシステムです。
簡単な言い方をすると、下請業者さんがやってくる、といった感じでしょうか。
火葬式の一番簡素なスタイルとしては、ご遺体の安置と火葬のみ、ということになります。
結論から言うと、火葬式は私たちにとっては良い選択肢だったと思っています。
特に親戚やご近所などとも縁が薄くなってしまった心細い遺族にとっては、良いシステムだと思いました。
そこで今日は、先日の火葬式での体験や気が付いたことなどをメモしておこうと思います。
葬儀社の手配
病院に到着してまず言われたのは葬儀社の手配の事でした。
この病院には長時間安置できる設備がなかったことから、急ぎご遺体を安置できる場所へ移さなければいけない状況でした。
平たく言えばご遺体を保存できる量のドライアイスの調達が必要、ということです。
病院にはどこも等しく安置室のような場所があるものとばかり思っていた私たちは、この現実を突きつけられて大いに焦りました。
病院から葬儀社の紹介もないようでしたので、ネットで見つけた火葬式を行ってくれる葬儀社に連絡を入れました。
手配を頼み一旦電話を切ったのち、しばらくすると直接の担当者から連絡が入りました。
この時の担当者の言葉がとても印象的でした。
「後はすべてこちらでやりますから、大丈夫ですよ」
例えば、たった一人の肉親を失い初めて喪主となった遺族にとって、この一言はとても心強く感じるでしょう。
これから少子化、核家族化、地域との疎遠化が進むにつれ、こういった手配や流れが分からない人も珍しくなくなると思うのです。
ただ一人残される。
ただ一人で全てを行う。
この不安と恐怖から親友をしばし解放してくれたのは、この担当者の一言でした。
葬儀プランの決めて
今回、私たちが火葬式でのお送りに決めたのは予算の都合もありましたが、「お通夜・葬儀・告別式に参列する人がいない」ということが一番の理由です。
最悪、最後まで二人だけでお母様をお送りすることになる状況で、二人だけのお通夜・告別式は寂しさが増す気がしたのです。
病院から安置所へ
ご遺体を親友の自宅に連れ帰るか、葬儀社の用意する安置所に置くか迷ったのですが、親友の自宅が病院から遠いこともあって、病院のある地域で安置・火葬することに決めました。
入院していた病院のある地域は、昔、親友とお母様が暮らしていた地域でもありましたので、馴染みのある場所でもあります。
そういったことから安置所に向かう道中では、思い出のある場所なども通りがかっていただきながら、着いた先は住宅地にある個人経営の葬儀社でした。
葬儀社の看板はかかっているものの完全に個人の住宅で、ご遺体が安置されたのはその家の一階にある、十二畳ほどの広さの畳の部屋でした。
葬儀社の方は慣れた手つきで粛々と作業を進めます。
まずドライアイスを設置し、仏式柄の金襴の布を掛布団にして、胸元には阿弥陀仏の組み紐、傍らには短剣が添えられ、枕元には簡素な飾りが置かれます。
ほんの十分ほどでご遺体の安置は完了です。
ただ、布団に寝かされることもなく、畳にほぼ直置き状態のご遺体の様相は、ご遺族にとっては少しショックかもしれません。
さんざん悩んだ末に決めた小さなお葬式(火葬式)でしたが、この状態を見た時、正直「本当にこれで良かったのだろうか…」と思うところはありました。
火葬式の打ち合わせ
ひと段落して、葬儀社の方より詳しい説明が行われます。
親友がお願いしたプランには、死亡届や火葬場の予約などの役所への届出の代行
が含まれていたので、葬儀社の方はその場で火葬場の予約を取ってくれました。
その他諸々の説明があり、手続きは終了です。
火葬式の場合、お通夜・告別式・葬儀を行わないため、この時点から火葬までの時間、遺族はフリーに過ごすことになります。
通常、法律では24時間過ぎなければ火葬できません。
特にこちらで希望する日もなかったので、出棺は火葬場の予約が取れた明後日となりました。
「出棺まで部屋は自由に使ってください」ということでしたので、翌日お母様と一緒にゆっくりと過ごすことにして、この日は一旦帰宅することにしました。
心に残る最後の一日
一夜明け、喪服や棺に納めるお母様のお好きだったものなどの準備を整え、お母様が待つ安置所へと向かいます。
部屋に入るとご遺体はちゃんと棺に納められた状態で安置されていました。
昨日の状況は棺が到着するまでの仮安置だったようです。
故人の死後から全てに立ち会うのは生れて始めての経験だったので、全く何も分からずで心配しましたが、落ち着いて考えれば「そりゃそうだ」と言う感じです。
それでも管理人は心からホッとしました。
ただ、祭壇も遺影もなく、棺と簡素な飾りがポツンと部屋にある景色には変わりありませんが…。
簡単な夕食と近くの銭湯でお風呂を済ませ、その夜は静かにお母様との最後の夜を過ごしました。
程よい生活感のある畳の部屋は、ある種、親戚の家にいるような安心感がありました。
この時点でようやく少し落ち着くことができたように思います。
お母様の安らかなお顔を見つめながら、悲しさ、懐かしさ、感謝、愛おしさなどのさまざまな想いや、明日からこの姿のお母様はもう見ることのできないという現実を実感することができました。
この日の夜は、その家の持つ温かみに救われた気がしました。
出棺の時に用意すると良いもの
翌朝、どうにか連絡がついた親友のいとこが駆けつけてくれましたので、親友は独りぼっちのお見送りにならずに済みました。
親友と、いとこと、管理人と3人で献花とお供えの品を棺に納めます。
葬儀社の用意した法衣と紙に描かれた六文銭が入った銭入れも納めます。
この時に六文銭の代わりに一円玉を用意すると良いようです。
また、一円玉の代わりに他の硬貨を入れることもあるそうです。
一円玉は溶けやすいのでほぼ原形をとどめないようですが、他の硬貨の場合、溶けてしまわない場合があるそうです。
お骨上げの時にその溶けずに残った硬貨が見つかれば、それは金運のお守りになる…と、葬儀社の方に教えてもらいました。
一円玉の事を知らなかった私たちは別の硬貨を代わりに納めましたが、三途の川の渡し銭になる一円玉6枚は用意しておくと良いかも、と思います。
火葬とお骨上げ
葬儀社から出棺し火葬場に着くと、親友のいとこが連絡してくれた他の親族の方々も来てくださいました。
親友が独りぼっちの遺族ではなくなったので、管理人はホッと一安心したものの、ここで「さて、どうしたものか…」という状況になりました。
管理人の心の中で私は親友の家族なのですが、ご親族の方にとっては赤の他人です。
この状況で一緒にいるのも変と言えば変なことです。
ですが幸いなことに、御親の方々に「よろしければ一緒に」と言っていただけたこともあり、お骨上げまでご一緒させていただくことにしました。
最後までご一緒させていただけたことは、管理人としては本当にありがたかったですね。
火葬場でご焼香を済ませて、お母様は炉の中に進みます。
お骨上げまで3時間ほど時間があり、その間は親友とご親戚の方々と一緒に過ごし、所定の時間に火葬場へと戻りました。
そうして管理人も皆さまと一緒にお骨を骨壺に納めさせていただきました。
親友は六文銭代わりにお納めした溶けなかった硬貨を見つけることができたので、片見の品として大切に保管しています。
まとめ
病院から連絡が入り、親友と共に駆けつけた時にはすでにお母様は亡くなられていたのですが、人の温もりを残すお母様のお顔が安らかであったことは、せめてもの救いでした。
本当は、お別れの時がそう遠い未来のことではないと、随分前から分かっていたのです。
ですがその現実を受け入れずにきてしまった私たちにとって、突然にやって来た別れの日は、本当に頭が真っ白になりどうして良いのか分からない状況でした。
やはり、肉親との別れという現実が自分の人生に予感できる状況になった瞬間から、その準備はしておく必要があると思いました。
私たちの場合、お母様の入院が長かったことから、さすがに心がパニックになることはありませんでしたが、残った者の役目という部分では全く動けなかったところがあります。
それでもどうにかなったのは、多様化が進む今の時代に救われたと思います。
火葬式を行っている葬儀社は何社かあり、プランも料金も様々です。
(私たちはお願いしませんでしたが、オプションで火葬場または安置所に僧侶にお越しいただき、読経をお願いすることもできるようです。)
例えばプランに役所手続きの代行が入っていると料金は若干高くなりますが、親友のように全てを一人で行わなければならないような場合には、代行を頼むべきだとつくづく思いました。
おかげで火葬までの短く貴重な時間、親友は何にも煩わされず、お母様と最後の時間を過ごすことができました。
様々な人生がある中、私たちにとって小さなお葬式(火葬式)は良い選択肢であったと思います。