お月見

お月見は秋の行事としてよく知られています。

ただ、気が付けばいつもひっそりと過ぎている。

スーパーなどで売られる「月見団子」を見て、その季節を感じる人も多いのではないでしょうか?

そこで、お月見は何となく月見団子を食べる日…となってしまっているあなたに。

今日は、もっとお月見に親しんでみよう!ということで、その由来やお供えの意味などをちょっと調べてみました。

  



お月見ってそもそも何?いつ何をするの?

お月見は「十五夜」「芋名月」「仲秋(中秋)の名月」とも呼ばれます。

「十五夜」は月の十五番目の夜(旧暦の8月15日)に行われることから、また「芋名月」は、丁度この時期が里芋の収穫時期(旬)であることからついた名です。

「中秋の名月」は旧暦8月のが秋の真ん中(中秋)であることから、また「仲秋の名月」は旧暦8月の別名が仲秋であることからついた名です。

このように様々な呼び名のあるお月見ですが、具体的にどういう行事なのでしょう。

お月見では何をすればいいの?

お月見は、秋の夜の美しい満月を鑑賞する事で、月(の神)にお供えをして、豊作の感謝や祈願も兼ねて行われます。

つまり、豊作や日々の平和の幸せなどを噛みしめつつ、満月(あるいは満月のような美しい月)をまったりと鑑賞する…といった感じでしょうか。

ひとり静かに月の光を楽しむもよし、気心の知れた友人と静かに酒を酌み交わしながらポツリポツリと語るのもよし、家族団らんで子供たちにお月見のウンチクを語るもよし。

特に決まり事はありませんが、旬の里芋や季節の野菜や月に見立てて半熟卵を使った献立を「月見料理」として楽しむこともあります。

美味しいお団子や秋の味覚を味わいながら、秋の夜長を思い思いに楽しみましょう!

現代でのお月見の正確な日はいつ?

秋の空は澄み渡り、一年の内で最も月が美しく見えるとされていることから、お月見は旧暦の8月15日に行われるようになりました。

旧暦の秋は7月・8月・9月となっていて、丁度お月見の日はその真ん中の月(8月)の真ん中の日(15日)です。

ですが旧暦と現代の暦では一か月間の日数が異なりますので、現代の暦では毎年お月見の日にちが変わります。

2017年からの5年間のお月見の日を見てみましょう。

*2017年 10月4日
*2018年 9月24日
*2019年 9月13日
*2020年 10月1日
*2021年 9月21日(満月)

期間にかなり幅がありますので、毎年早めに調べてカレンダーにチェックを入れるなど、現代人はお月見を逃さない工夫が必要ですね。

ちなみに。
2021年の十五夜は本当の満月になりますが、他の年は満月前後の月…ということです。

旧暦では一か月を30日としていていますが、実際の月の満ち欠け(周期)は30日キッチリというわけでなく、時間と同じように徐々にズレが生じます。(このズレは閏月(うるうつき)により修正されます)

ですので、十五夜が必ず満月になるわけではないようです。

お月見の習慣はいつから?その由来は?

お月見は縄文時代からあった…という説もありますが、平安初期に中国より伝わったという説が一般的なようです。

中国より伝わったお月見の風習は、平安貴族の間で観月の宴(かんげつのうたげ)として定着していきました。

観月の宴では、雅な貴族たちが美しい秋の月を愛でながら、歌を詠み音曲を奏じて楽しみました。
また、直接月を眺めるだけではなく、池の水面や盃の酒に映り揺れる月を楽しんだりもしていたようです。

この時代のお月見は庶民には無縁の存在で、お供えなどもなく、純粋に貴族の風雅な遊びだったようです。

その後、鎌倉、室町、安土桃山と乱世の世も過ぎ、江戸時代になると世情も安定した頃、お月見はようやく庶民の文化に流れてきます。

江戸時代初期では月を鑑賞する夜遊びの要素が強かったようです。

しかしその後は秋の収穫祭などの、もともと庶民に根付いていた風習と合わさっていきます。

そうして江戸時代後期には、お月見は月を鑑賞するだけではなく、お供え物をしたり感謝や祈願をする形が定着していったと考えられています。



どうしてお月見に団子やススキを供えるの?

ススキ

江戸時代前期の庶民のお月見では、収穫の時期となる旬の里芋(煮芋)を食べる程度で、お供えという習慣はまだなかったようです。

ですが江戸時代中期ごろには里芋を供える風習が出てきます。

そして江戸時代中期以降から後期にかけて、旬の農作物や米(粉)で作った団子を供えるスタイルが出来上がっていきました。

これは、日本古来から庶民に根付いていた自然信仰(山の神様、海の神様…というやつですね)や、秋の収穫祭(神への豊作祈願や感謝)と深く関係しているようです。

お月見でススキや萩を供えるというのは、まさにその流れでしょう。

お月見で供える萩は神の使う箸とされ、ススキは稲穂の代用品とされています。

稲穂は「神の依り代になる」と考えられているようなのですが、多くの地域では、お月見の時期はまだ稲の収穫が終わっていません。

そこで稲穂に似たススキを稲穂に見立てて神の依り代とし、神を招く…という感じでしょうか。

ススキも萩も邪気を祓うと言われていますので、こういったところにも信仰の影響が感じられます。

現代でも、お供えで使ったススキを厄除けとして軒先に飾る風習が残っている地域もありますね。

パーフェクトなお月見って意外と難しい?

平安の時代に中国より伝わり今に残るお月見ですが、実はこれ以外にも日本独自の文化として「十三夜(じゅうさんや)」「十日夜(とおかんや)」というお月見の日があります。

十五夜・十三夜・十日夜を合わせて「三見月(さんみつき)」または「三名月(さんめいげつ)」と言います。

「十三夜」は宇多上皇(延喜十九年)が始めたと言われていて、旧暦の九月十三日に行われるものです。

この頃は栗や豆の収穫時期(旬)であることから、「栗名月(くりめいげつ)」「豆名月(まめめいげつ)」とも呼ばれ、栗や豆などを供えます。

また、十五夜のあとの月見ということで「後の月(あとのつき)」とも呼ばれます。

ちなみに、十三夜は十五夜のセットとして位置づけられていて、どちらか片方だけのお月見は「片見月(かたみつき)」と呼ばれ、縁起が悪いとされました。

「十日夜」は、旧暦の十月十日に行わるもので、稲の収穫が終わっている時期でもあり、他の月見に比べて収穫祭としての意味合いが最も濃いようです。

今でも、案山子にお供えをする「案山子あげ」や、ワラ鉄砲でモグラ払いをするなど、地域により色々な風習が残っています。

夏の終わりから秋の終わりにかけて行われる三名月は、台風など雨の多い時期でもあるので、全てが晴れるというのは珍しいことから「三名月が晴れると縁起が良い」とされていました。

今年は三名月のお月見にチャレンジするのも面白そうですね。

おまけ

京都の銀閣寺には、松の庭園という白い砂が敷かれた庭があり、海原と彼方にある山の風景が表現されています。

これは中国の西湖の風景を模して造られたと言われていて、こうしたところにも、当時の日本人が中国の文化に感化されていたことを感じます。

ちなみに、砂で描かれている波のような縞模様を「銀沙灘(ぎんしゃだん)」、富士山のような山を模ったものを「向月台(こうげつだい)」といい、ともに月に関係する名が付けられています。

きっと、この庭に満月の光が射す時、そこには銀の海原や月の昇る富士山が、まるで水墨画を映すかのように描き出されたのではないでしょうか…。

そういった当時の人が見たであろう風雅な景色に想いを馳せつつ、お月見を楽しんでみるのもまた一興…ではないでしょうか。